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こんにちは、しげるです。
いきなりですが、
私は中国人の女性と国際結婚をしており、2人の子供に恵まれて、幸せに過ごしています。
以上です。(再見)
なんて!、すいません、ここで終わりじゃありません。(-_-;)
どうぞ続けて読んでくださいませ。(ペコ)
急にのろけ話からスタートしてしまいましたが、今日の記事では、あなたがおそらく気になる(?)話題として、中国人の妻との間に生まれた私の子供の事、ここ中国で生まれ育った子供たちの事についてお話ししたいと思います!

- 中国でハーフの子供を持つということ
- ハーフの子供の戸籍となまえについて
- 子供を授かって実際に体験したこと
- 子供たちの将来について
- ハーフの子供を持つ親の悩みについて
子供たちについて
私には2人の子供がいます。
上の子は男の子(現在23歳、2023年6月に無事大学を卒業し、広州にあるIT関係の会社に無事就職)、下の子は女の子(現在17歳、高校1年生。2023年9月から高校2年生になる)です。
いわゆる、「一男一女」、ってやつですね。
私、実は日本では男兄弟3人の長男で、家の中は常に男っ気ばっかりで、家に女の子がいなかったものですから、自分の子供に女の子が出来た時はすごく嬉しかったし、上の子が男の子で、下の子が女の子って、バランスが良いと思うんですよね。
それで、息子と娘の年の差も「6歳」なんです。
息子は2000年生まれ、娘は2006年生まれ。
どちらもここ広東省の地方都市である汕頭(スワトウ)の産婦人科病院で生まれました。
息子と娘の「6歳の年の差」って、ああ、これっていいな、と思う事があります。
それは、
「近すぎず、離れすぎず」。
どういうことかっていうと、息子が誕生し、大きくなり、小学校に入学。入学したあたりで今度は娘が誕生し、娘が小学校に入るあたりで息子が小中学校を卒業する。
つまり、お兄ちゃんである息子が小中学校の学校生活の事とか勉強の事を、妹である娘に教える事が出来る。娘は小中学校の分からないことや勉強の事をお兄ちゃんに尋ねる事が出来る。そして娘の不安が少しでも取り除かれる。
たまたま6歳の年の差で生まれたわけですが、持ちつ持たれつの、いい年の差ではないかな、と感じています。
そしていま、息子は広東省の私立大学(4年生本科)に入学し9月から4年生になり、娘は9月から広東省汕頭の地元の普通高校に入学し高校1年生になります。
2人とも元気に育っています(笑)
うえの子は男の子

画像参照元:いらすとや
息子が生まれた日のこと
息子が生まれた時、私は地元の産婦人科病院の1階の待合室にいました。
2000年2月のとある夜でしたが、中国の産婦人科は日本のようにいわゆる「立ち合い」はさせてくれず、ただ待合室で「どうか母子ともに元気でありますように!」と心で祈りながらおどおどしていました。(-_-;)
そして誕生。
今でも記憶に残っているのは、分娩室から出てきたベッドに横たわる妻と、その脇に生まれたばかりの赤ちゃんがいました。顔と体が真っ赤で、小さくても目鼻立ちがしっかりしていたのを覚えています。だから「赤ちゃん」っていうんですね。
戸籍はどっち?
息子の戸籍ですが、「中国」です。
ですので、中国のパスポートを持っています。
ですが、日本の戸籍謄本には、我が家の4人の名前が記載されています。
日本の制度ですと、22歳になるまでに日本の戸籍か中国の戸籍を取るか決めなけばなりませんが、息子は22歳になった今、自分の判断で中国の戸籍を保持しています。
息子の名前は何と呼ぶ?
息子は日本と中国の両方の名前を所有しています。
日本の戸籍謄本には私の苗字を取った日本人としての名前を記載。
中国の戸口本(戸籍証明)には中国語の名前を記載。
生まれてから大学までずっと中国で生活し大きくなっていますので、全て中国語の名前で通しています。
家では、息子を中国語の名前で呼んでいます。
息子の中国の名前の名付け親は、妻のお母さんです。
日本の名前の名付け親はこの私。中国語の下の名前の一字を日本の下の名前に入れています。少しでも親しみがわくように。
一時期はあの少林寺で文武両道修行!
22年前の2010年、中国上海であの「上海世博会」(上海万博)が開催された年を覚えていますか? ちなみに私は仕事で上海万博に行ってました(笑)。
実は!その年に、息子は1年ほど、あの「少林寺」に入学して、学生たちとの共同生活で武術を習得しながら勉強をしていたことがあるんです!
なんでそんな大変なところに自分の子供を?可哀そうに、ってふつう思いますよね?
でも息子を少林寺に送ったのは、実は私の「妻」なんです。(-_-;)
その原因はというと、、、
そのころ息子は小学校の勉強があまり得意でなく、間もなく中学校に行くタイミングでした。そして、どの中学校に行く?という話になった時、突然妻が、
「今度のテストの成績が悪かったら、おまえを少林寺に送り込むよ!」と言ったのです。
最初は私も「冗談だよな、嘘に決まってる」と思っていたら、なんてこった、息子が期待通り(?)悪いテストの成績を持ってきて、妻が、「はい、じゃ少林寺だね。体も強くなるから、行ってきなさい!」となったのです。
まさかでしょ。。。。
いやー、妻と息子と私の3人で少林寺(中国河南省)に行ったときは辛かった。
泣いてべそをかきこっちを見ている息子、それを見ながら去ってゆく妻と私。。。
だんだんと、建物の影に隠れ、見えなくなってゆく息子。。。
「やっぱり連れて帰りたい!!」
と胸がはちきれんばかりでしたが、少林寺を後にした妻と私でした。
いやーあの時は本当につらかった。(息子の方がもっとつらかったけど)
でも、こういう思い切った決断ができるのは、中国人の妻だからなのか?と思ったりしまっした。私だったら、絶対少林寺なんかに行かせないです。普通の中学校です。
でもね、
1年の内、3カ月くらいは少林寺で文武両道の生活をして、その後少林寺近くの別の寺院で文武両道の生活をして戻ってきました。
頭は坊主で、まるで、なんかのお味噌のコマーシャルにでてくるキャラクターに似てる感じでしたが、日焼けして、それはそれは逞しくなっている息子がいました。
自宅の生活に戻り、私が住んでいる街の中学校に編入しましたが、いわゆる「少林寺拳法」の「型」を覚えていて、かっこよかったですね。周りの知人友人から「見せて見せて」と言われてお披露目して、人気がありました。(今は、すっかり型なんて忘れてます)
したの子は女の子

画像参照元:いらすとや
娘が生まれた日の事
娘が生まれたのは2006年の春。
娘も今住んでいる汕頭の産婦人科病院で生まれました。
息子と同じ、普通分娩です。
家にいたお腹の大きな妻お腹が、急にうずき、これは生まれる!
となり、タクシーを呼んで、産婦人科病院へ。
やっぱり立ち合いは許可されず、待合フロアで待つような感じでおろおろしていましたが、無事、母子ともに健康で、元気な女の子が生まれました。
小さい頃はよく遊びにつれて行った
息子と娘が小さい頃は、街にある大きな公園とか恐竜のテーマパーク、そして定番のマックに遊びに連れて行きました。
娘の場合は、小さい頃はおちゃめでした。「パパーどこか連れてって~」とよく言われ、仕事が休みの日に公園の湖のボートに乗ったり、観覧車やミニジェットコースターに乗ったりして遊びました。携帯の電灯を私に向けて眩しいのに「パパカメラ見て~」なんてなんでも興味津々な子でしたよ。
いまは16歳になり、休みの日はもっぱら自分の部屋でアイパッドで動画を見たり、歌声が聞こえたり、勉強してたり、たまに同性の同級生と遊びに行ったりして、すっかりパパの出番はなくなっちゃいました(ちょっと寂しい)。
戸籍はどっち?
娘の戸籍ですが、「日本」です。
ですので、日本のパスポートを持っています。
そして、日本の戸籍謄本には、我が家の4人の名前が記載されています。
なので、中国に住んでいる以上、私と同じで、外国人扱い。
パスポートの更新をしつつ、外国人居留証を更新しながら生活をしています。
尚、パスポートの更新は在広州日本国領事館で、外国人居留証の更新は地元汕頭の当局でしています。
娘の名前は何て呼ぶ?
娘は日本人ですので、日本語の名前だけです。
私の苗字を名乗り、下の名前は私が名付けました。可愛い名前ですよ(笑)。
学校では先生からも学生からも日本語の名前を中国語の発音で呼ばれています。
まさかのうつ病になる
娘が中学2年生の頃、病院で、軽度のうつ病と診断されて、1年間の休学をしました。
原因はよくわかりませんが、きっと、毎日の「学校の勉強と宿題」、だと思っています。
その圧力に耐えきれず、真面目な娘は耐えられなかったんだと思います。
まさか、自分の娘がうつ病になるなんて、、、
と思い、自分の親としての責任を感じてしまい、仕事ばかり一生懸命で、娘の事を何もわかってあげられなかった、ダメな自分を反省しています。
妻も私もその原因には触れず、「休みたいだけ休みなさい、自由にしていていいよ」、というスタンスで普段の生活を自然に過ごし、自然に娘と接していました。
1年後、娘の方から、「学校に行く」、と言ってくれて、中学3年生をスタート。
今は無事高校受験も終わり、夏休み中。地元の希望の高校にこの9月から入学です。
生まれる前にわかる、赤ちゃんの性別
うちの場合、妻が妊娠中、産婦人科病院で検査をして、生まれる前に性別が分かりました。
これって、日本でもわかるんでしょうか?
”子供は天から授かった宝物”。
男の子でも女の子でも、うちの子として生まれてきてくれて、ありがとう、って思っています。

ハーフの子を持つ親の悩みとは
ハーフの子を持つ親として、自分が思う事として、次のような事が挙げられます。
- 使う言葉がどうしても中国語になり、日本語でのコミュニケーションが出来ない。
- 子供たちが、自分のアイデンティティを中国か日本なのか確立できない心配。
- 妻とは中国語で楽しそうに何でも話すが、私とは使う中国語が限られてしまう。
- 息子は中国のパスポートなので、外国に行くときにビザ取得等手間がかかる。
- 娘は日本のパスポートなので、中国に住むときにビザの更新が定期的に必要。
- 将来、恋愛して結婚する時に、ハーフという事で影響があるのではないか心配。
私が心配性なのかもしれませんが、「そんなの何でもないよ、平気だよ」、と子供たちが言ってくれたら気持ちも楽になるでしょうね。
これからのこと

これからの事ですが、
息子は大学卒業後、広州でプログラマーとして仕事を見つけ、頑張りたいって言ってます。
娘はこれから高校生。3年後は大学を目指します。
その一方で、あと2年で定年の私。
息子はもう大学卒業するから良しとして、娘は定年の時にまだ高校3年生。
あー、定年後も収入を得られるよう頑張らねばならぬー
と焦っているしげるでした。
ここまで読んで頂いて有難うございました!
それではまた。

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