こんにちは、しげるです。
私は仕事で中国に赴任してからまもなく、ご縁あって、中国の女性と国際結婚しました。
といっても今から23年も前の話です。
結婚記念日は、1998年11月22日。
かなり後になって気づきましたが、これ、
「11(いい)」(22(夫婦)」の日
だったんですね!
全く狙ってなんかなく、本当に偶然でしたよ。
「11(いい)22(夫婦)」が世間でバズったのは私が結婚してから相当経ってからです。
でも、
まさか自分が中国のお嫁さんをもらうなんて?!
なんてその時は思いましたが、23年を経た今も、途中で色々と大きな波風が立った時もありましたが、ここまで仲睦まじく、平和な結婚生活を続けております。
- 中国の女性との出会い
- 日中国際結婚について
- 子供を持つことへの課題
- 中国で家を買ったお話
- 一緒になったいま思う事
妻とのなれそめ
仕事仲間とカラオケに。そして出会い。
妻との出会いは必然というか偶然でした。
中国の仕事が徐々に本格的になり、仕事も忙しくなり、そんな中でも新しい環境と中国(外国)という環境の中で、若かった自分(当時34歳)としては、忙しさと難しい問題が多く大変な中でも「何とかやってやるぜ!」みたいな若さだけが武器みたいな感じで仕事をしていました。
その当時の娯楽と言えば、一日の仕事が終わった後、特に週末とかには、仕事仲間や業者の方と晩御飯(数少ない日本料理をはじめ地元の餃子屋とか火鍋屋とかをルーティーン使用)を一緒に食べたり、そのあと、たいてい「カラオケ」に行ってお酒を飲んで下手な歌を歌うのがストレス発散となっていました。(-_-;)
ある日、業者の方のお誘いで、仕事の先輩と一緒に晩御飯を一緒に食べて、そのあとお決まりのカラオケに行ったんですよね。あの日は本当に特別な日でなく、普通の日でした。
中国についてある程度知識のあるあなた様ならご存じだと思いますが、中国のカラオケは2種類あって、ひとつは、
KTV(女性の接客員無し)(-_-;)
と
カラオケ(中国語:卡拉OK/女性の接客員有り)(*^▽^*)
があるんです。
1998年のその当時は圧倒的にカラオケが主流で、部屋で女性が一緒に歌を歌ってくれたり、お酒を注いで一緒に飲んでおしゃべりしてくれたり、ときにダンスとかする接待員がいて、私はその中の一人の女性と出会いました。
話せば長ーくなってしまうので、また別の機会にお話をしようと思いますが、つまり、
その時に出逢った一人の中国人の接客員の女性がいまの私の妻となった
わけです。
気づいたら、付き合うようになっていた。
その後、携帯電話で連絡を取るようになり(その時代はウィチャットなどまだ無い時代)、私は会社の寮生活でしたので、平日の夜や週末に彼女の家に遊びに行ったり、ご飯を食べたり、市内の公園や近くの島に遊びに行くなどして、仲良くなってゆきました。
彼女の出身は中国江西省で、私が住む広東省のすぐ上に隣接している省です。
江西省は地元の方言があり、彼女がお母さんや弟と話す会話は私は全く聞き取れませんでしたが、私とは中国語の普通語で話していました。
いよいよ国際結婚へ
妻の優しさに心を打たれた。
時は過ぎ、自然に付き合うようになった彼女と私ですが、彼女は結構献身的なところがあるんです。(やばい、のろけ出した(-_-;))
結婚前の当時は、私は仕事の激務や慣れない中国の環境の中で、体を壊して寝込むことがありました。私は扁桃腺持ちなので、一旦扁桃腺が晴れると、のどが痛く、熱が出ました。
食欲もなく、ご飯もまともに食べられず、高熱が続き、弱っている私を、彼女は、地元の病院に一緒に行って、どう中国語で伝えていいか分からない私の代わりに医者に話してくれたり、病院内での処置に付き合ってくれたり、熱にうなされて部屋で寝ている私に付き添って食べ物や飲み物をくれたり、当時彼女がいなかったら、どうなっていたか分かりません。
まあ、これは一例ですが、ここでは書ききれないくらい、お世話になっております。
彼女の実家へご挨拶、そして結婚へ。
そうこうして月日が経ち、旧正月だったか、国慶節だったか、もう忘れてしまいましたが、初めて彼女の実家のある江西省の東郷県というところに彼女と一緒に行きました。
そこには、彼女のお母さん(お父さんは他界)、弟さん、叔父さん、がいて、みなさんにご挨拶して、結構色々な家庭料理や自家製(?)の白酒を出してくれました。特に叔父さんとは、言葉もあまり伝わらない中、白酒を交わし、里芋の煮っころがしをつまみに一杯やったりしました。
まあー、日本人はまずいないであろう、いや、絶対にいない中国の田舎の風景と生活を体験したのでした。
彼女の実家へはその後2~3回行ったと思いますが、そのあと、もう結婚に向かい動いている2人となり、正式なプロポーズもしませんでしたが、
決定的だったのは、
ある日彼女が夜のカラオケの仕事が終わってから、電話をかけてきて、「会いたい」と言ってきたのですが、私は仕事で疲れていて眠いので、「今日は疲れて眠いからまた今度」といった時、「我一个人的。。。」(私は独りぼっち。。。)と言いながら電話の向こうでごうごうと泣き出してしまったのです。
あの時の声を聞いたとたん、「あー、これはもう彼女を一人にはしておけない、彼女を守るのは俺なのかもしれない。」という天の声とでもいいますか、男としての正義感が出て、夜彼女を迎えに行ったのでした。
その後、結婚をすることを決め、結婚式を挙げる前に、中国で結婚の証明となる「結婚証」を取るため、彼女の戸籍が登録されている江西省無州市の民生局に行き必要な手続きをして「結婚証」を取得しました。そして、1998年の11月11日に彼女の実家のある江西省東郷県で結婚式を挙げました。
中国の結婚式には、私側は会社の日本本社と中国の会社の上司、お世話になっていた通訳さん、そして日本から私の母親と弟が来て参加、妻側は妻のご家族と友人、その家族とか集まり約100名くらいでしたが、地元のレストランを借り切り、結婚式を挙げました。
車を花で飾り、車でゆっくり街を練り歩いたり、ラッパを鳴らされたり、驚くような結婚式でした。
結婚式の話はまた別の記事で書きたいと思います!
子供が出来た。一男一女
長男と長女の誕生
ミレニアムといわれた西暦2000年の2月、「第一子となる長男が誕生」。
そして6年後の2006年の3月、「第二子となる長女が誕生」。
どちらも元気に生まれ、心身ともに元気に育っています!
長男はいま「大学4年生」、長女は「高校1年生」になります。
二人とも、中国の地元の学校で中国の教育を受けて育っています。
子供が育つのは早いもんですね。
小さかったあの赤ちゃんが今はこんなに大きくなるなんて。
親子だけあって、私と子供たちの「笑いのツボ」は一緒かも。
ちなみに、妻と私の笑いのツボは一緒じゃありません。(-_-;)
だけど、一つの大きな問題は、子供2人とも、日本語がほとんど話せないこと。
カタコトは話せて理解できても、文章となるとすっかりダメです。
日本人である父親の責任は重大です。
仕事の重圧に加えて、家庭内のこの重圧は、結構厳しいものがあります。(-_-;)
家を買った
中国では、”男たるもの、結婚前に家を買って嫁さんを迎えるものだ”、と言われていますが、私は結婚当時は「アパート住まい」でした。(-_-;)
ですが、長男が誕生した年に思い切ってマンションを購入しました。(一大決心!)
その理由は、
- 2000年当時は、中国の物価がとっても安かった。
- 当時の私のマンションの購入価格は、一平米1960元程度だった。
- マンションの内装費もトータル10万元以内に抑える事が出来た。
- 子供も出来て、今後を考え、少しでも環境の良い暮らしがしたかった。
- 住んでいたアパートがボロアパートで色々と環境が悪かった。
- アパート住まいは家賃を払えど売買は出来ず、マンションを買った方が得策。
- マンションはのちのち値があがるので、資産となり、売買も可能。
ちなみに、中国のマンションは、1平米いくらとしてスペースを販売するのみで、内装は一切なく、購入した人が全て自分の予算で内装業者に内装をしてもらうスタイルです。
ですので、中国では、自分でトイレの便器も買わなければならない。
私が購入したマンションは、8階建て1階部分の東南向き、室内面積150平米+中庭100平米のマンションです。1階なので、階段の上り下りが無く、出入りが楽です。
今に至る
そうしてこうして、結婚から23年後のいま、家族4人で皆元気に仲良く暮らしています。
家族一人一人の現在の状況は:
妻:現在46歳。株の勉強を始め、平日はデイトレーダー兼専業主婦。おおらか。
私:現在58歳。日系企業の中国現地法人のサラリーマン。定年まであと2年。
息子:広州の私立大学に進学。現在大学4年生。ハンサム。プログラマー希望。
娘:汕頭地元の高校に進学。現在高校1年生。可愛い。絵を描いたり歌が好き。
国際結婚した私の思うこと
中国の女性と結ばれた私ですが、正直な感想を書くとこんな感じですよ。
①言葉の問題以外はいたって普通の生活だと思う。
②自分や娘のビザの期限と延長に気が抜けない。
③費用が掛かるので気軽に家族で日本に行けない。
④妻は日本語がわからないので日本のニュースやSNSの内容について話があまりできない。
⑤妻のおおらかな性格に精神的にだいぶ助けられている。
⑥子供の教育には、妻は厳しく、私は優しく接しており、バランスが良い。
⑦年の差が一廻り違うので(私が年上)、口論になりそうなとき、私がいつも先に折れる。よって喧嘩にならずに試合終了となり、問題も起きない。
⑧お互いたばこは吸わないし酒もごくたまに飲む程度。それにお互い適度に綺麗好き。でも私の方がよく部屋を掃除しているし皿もよく洗っている。(妻は私がブログにこんな事を書いているなんて知らない)
以上のような感じです。
結婚する時は、他の日系企業の方に「中国の人と国をまたいで結婚するなんて、勇気がありますね~」なんて言われたことがありますが、いまとなっては、勇気も何も、何言ってんでしょう、至って「幸せ」ですよ。
という事で、もしかしたら国際結婚を考えておられるそこのあなた、ご参考になれば幸いです。
大切なことは、誰とどこでどんな理由で一緒になろうが、その相手との「相性」だと思いますよ。
いやー、この記事書いてなれそめ暴露しちゃって恥ずかしかった~(赤面)(-_-;)
ここまでのろけ話に付き合って頂いてありがとうございました!
それでは、また!
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おじさん家族が本当に羨ましい!