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こんにちは、中国で25年間生活し情報発信をしているしげるです。
さて、いよいよ一年の最後の月、12月に入りましたが、いかがお過ごしですか?
中国で長年仕事と生活を続けてきて思うのですが、日本を「ホーム」とするならば、中国は「アウェイ」。この「アウェイ」に身を置く人間として、2つの場所の違いの中でいろんな意味で心の叫びとか変化を感じています。
例えば、日本にいる人たちは常に本場の美味しい日本食が食べれていいな、とか、温泉とかにいけて日本をいつでも満喫出来ていいな、とか、日本語に囲まれて何処に行っても何をするにしても苦労することなく読めて聞けて話せていいな、とか。
そういう物欲的なものばかりじゃなく、精神的なものに対する心の叫びみたいなものも感じちゃうんですよね。例えば、もう私は日本社会に馴染めないんじゃないかとか、もう私には日本人の腹を割って話し合えて笑える友達を全て失ってしまったんじゃないかとか、です。
日本にいては感じ無かった、そこにあって当たり前のことがこちらに来たとたん「スパッ」と無くなっちゃうので、日本人である分、ちょっとした喪失感とか、不安とか、当たり前だったその有難さと一抹の寂しさをより強く感じてしまったりします。
25年間中国にいるという事は、25年間日本にいないという事
25年間で得たものもあるし、25年間で失ったものもある
当然、以前は毎年2回程度日本に一時帰国していましたが、あのコロナという流行病がやってきてからは現在に至るまで全く日本に帰っていません。
ただ、私の場合は日中国際結婚をしていて、奥さんが中国人で子供も中国にいて、家族と一緒に一緒に住めるだけ恵まれていると思います。
「あなたは、家族がいるからまだ違うよね」
実際、こう言われたこともありますし。中国に来る日本人の方には単身赴任の方も身近に沢山いらっしゃいますからね、奥さんやお子さんに年に1度、いや、それ以上会えない方々も知っています。
海外に単身で来る、ということは、いろんな事情があると思いますが、結婚しているわけですから、家族と一緒にいるというかけがえのない時間を犠牲にして仕事や生活をしているんですよね。本当に大変です、お疲れ様です、と言いたいです。
でも、単身か、同居か、の有無に関わらず、日本人として感じてしまう事があるんです。
という事で、2022年も12月に入ったことですし、今までをちょっと振り返る気持ちで、今日のブログでは、一度自分の胸に手を当てて、中国に来て感じた
「6つの心の変化」
についてお話してみたいと思います。
- 中国にいると感じる6つの心の変化
- これから海外生活をするあなたにわかってほしいこと
- 心の変化から感じ取るこれからのこと
心の変化と気づき
① 親を大切に思う気持ちが強くなる
身内の話になりますが、私の母親はいま80歳です。
非常に気丈で元気な母親ですが、7年前の2016年2月に子宮頸がんを患いました。高齢でもあるので、医師の判断により、放射線治療などの非開刀治療を行ないました。効果は出てきましたが、長引く抗がん剤副作用でげっそりと痩せてしまい、食欲も減ってしまい今でも体重は35キロ前後で食べても太る事が出来ません。
幸い、現在では治療を通してがんが消滅し5年以上が経ち、再発はしていない状況ですが、やっぱり歳には勝てないようで、電話をするたびに、「腰が痛い、疲れる、体がだるい」、と言っています。そのような中、追い打ちをかけるように、長年住んでいた借家が大家の意向により立て壊される、とのことで、急遽別な借家を探し、同居している現在の旦那さんと親戚の手を借りて、溜まった荷物の整理と断捨離、引っ越しをしているというのだから、苦労が目に見えます。体が心配です。
私がまだ高校生の時に父と母が離婚し、母親一人で3人兄弟を育ててくれました。母は、夜の仕事をしたりして生活費を稼ぎ、尚且つ、離婚した父親の借金返済までしていたのを見て驚きました。そういう母親の何があっても負けない気丈さと背中を見てきています。
私は3人男兄弟の長男です。私も当時のそういう状況を見て、親には頼れない、親の負担を少なくしたいと思い、高校卒業から色々なアルバイトを通し自分で働くようになり、大学に落ちてからは、ビジネス系専門学校に行くことを決めました。
ただ、家にはお金が無かったので、あえて「読売育英奨学会」という制度を使い働いて自立する奨学生の道を選び、上京し、泊まり込みで朝夕の新聞配達と集金、セールスなどをして学費を稼ぎ、親に負担をかけまいと、必死に努力してきました。卒業の時に読売新聞社から頂いた卒業祝金の20万円は母親に渡しました。
そういうこともあり、中国に来てからは、普段会えない分、「電話」だけはまめにするようにしています。だいたいすぐ電話に出てくれるのですが、出ない時など「何かあったのではないか」、不安になる時があります。でも大抵「友人とカラオケに行っていた、70、80のジジババばかりで盛り上がっちゃった(笑)」などホッと笑ってしまうようなこともあります。
私がたまに一時帰国して茨城の実家に戻った時などは、出来るだけ母親との時間を多く持つようにしています。母親も歳なのに今だに台所に立つのが好きで、よく料理を作ったり、味噌汁を作ったりしています。そういう時に食べる母親が作った味噌汁は格別です。
しかし、会うたびにだんだん皴が増え、痩せて、弱くなってきている母親を見ると辛い気持ちになります。いつまでも長生きしてほしいと思いますが、私のように海外赴任だと、実家の滞在は数日間だけで、ほんの顔を見て少し話した程度で、仕事でまた中国に戻らなくてはならない事がほとんどです。時間が無い時は昼に着いて3-4時間母親と合い、その日の夜東京に戻ったこともあります。
そういう現実が25年も続くのは、本当に辛いですし、今度はいつ会えるのか、それまで母は元気でいてくれるのか、と考えたくもない不安な気持ちになるのです。
ですので、長男として自分が母親に出来る事は何なのか、普段顔を見ることも出来ず、男の私があまりできる事はないなと思い悩みましたが、それならせめてもと思い、約20年前から母親に毎月仕送りをしています。母親は「すごく助かっているよ」と言ってくれてます。
コロナで約4年も日本に一時帰国してませんでしたが、来年は一度時期を見計らって親の顔を見に行きたいと思っています。私の妻、息子と娘の写真を見るのも楽しみにしています。
私が言うのもなんですが、
親の一番の願いは、あなたの元気な顔を見る事です
画像引用元:② 日本人であることを忘れない大切さを感じる
中国に来ると、自分の廻りで見聞きするものとか、会う相手、話す相手も基本的に中国人になります。大企業の方なら日本人駐在者も多く、日本の取引先も多かったりして毎日日本人と会う方もいらっしゃるでしょう。
それとは別に、趣味の仲間内や知人で日本人同士というのもありますが、基本廻りの方々は中国人です。そして、テレビ、携帯電話の電話内容、ショートメッセージやアプリなどから入る情報も基本中国語で入ってきます。
VPNを利用している人は当然世界の情報が入りますよね。中国に住む多くの日本人の方も利用されていると思います。私もその一人です。
日本には「郷に入れば郷に従え」ということわざがあります。
その場所(国)に入ればその場所(国)のやり方に従うべきだ、というのは法律関係はもちろん、現地の生活のスタイルや考え方、それらを取り入れた商品や商売などが良いという面もあり、一理ありますが、私が思うに、自分の持つ全てを現地に迎合するのではなく、
日本人である以上、自分が世界のどこにいようとも、基本的思考やコミュニケーション、日本語の使い方、そして礼儀作法、行ない、エチケットは純な日本人であるべき
という風に感じています。
その理由は、それを大事にしないと、「アイデンティティの無い、日本の良さを持たない、中国人にも日本人にも魅力を感じない中途半端な変な日本人」、になりかねないからです。
中国に長くいればいるほど、そういう面が現地化に流されがちになります(私もそういう流れに入っている部分もあったり、気を付けてないと更に入りそうですが、流されないように自分を戒めています)
失敗談として、過去、中国法人立ち上げの時に、私も中国現地でバリバリ働いて波に乗っていた若い時、日本に一度帰国しました。その際、会社の上司に中国のような勢いで少し生意気な言葉を無意識に言ってしまったことがあり、その時上司に、「なんだお前その態度と言いぐさは?!」と叱られた記憶があります。とても気まずい思いをしました。
その時はっと思いました。「いけない、態度が中国化してしまっている!」と。(-_-;)
中国の企業や中国の人、そして中国で働く日本人も、中国化した日本人を求めてはいないし、逆に「しっかりとした日本人であってほしい、そこから得られるものを学びたい」、という人も少なくありません。
ですので、中国在住25年を経た現在でも、日本人や日本語が分かる中国の方とのコミュニケーションをはじめ、日本語で書く文書やメール、日本語で対話する相手は、きちんとした日本語を使う事を心がけています。その場所に日本人と中国人が一緒にいるような場合でも。
中国語交じりの日本語は慣れるとよくありません。思わぬところで日本語が出てこなかったり、日本人相手に中国語を入れた日本語を話しかねない場合があります。日本人として綺麗な日本語を使うようにしましょうね。(自分への戒め)
これって、いざ日本に帰った時に、自分がいかにずれた思考や礼儀作法、エチケットを持っているかどうか、ずれた日本語を使っているかどうか、思い知らされることになります。
中国にどんなに長くいても
あなたはそのままの日本人でいてください
画像引用元:③ 全ての原因と結果は自分で作っていると気づく
自分の身に降りかかることって、外的要因も多いけれど、その原因の多くは、「自分の行動から起きている」事に、中国に来て何年もたって、沢山の失敗をしてきて、気付かされました。
私の場合、中国に来て、仕事とプライベート、両方で大小様々な失敗をして、本当に、一時期、
仕事も、家庭も「首の皮一枚」
になりました。
ですが全てをここで発表すると、ブログで自分の過去の重大な失敗の全てを世界中にカミングアウトしてしまうことになり、大恥をかき、問題が起き、関係のある方に迷惑が掛かってしまいかねないので、具体的な要件や名前は伏せておきます。
ネットである記事を読んだことがあります。
”人生は生まれた時から全て「選択」から出来ている。自分の現在の姿は、全て自分が選んできた結果だ”
「今日、何を食べて、どこに行って、何をするか」、と言うような身近な事から、「将来は大学を卒業して、英語を生かして、独立して起業し、海外で活躍したい」、というような人生設計に至るまで、すべて自分の選択からきています。
話は少し戻りますが、自分にとって少し大きな失敗とは何かというと、
大事な得意先の面子をつぶし、信用を失い、会社に損失を与えてしまった
外の遊びで自分の貯金がほとんど無くなるくらい大金を使ってしまった
この2つですね。(-_-;)
これ以上細かいことは書けません。すみません。
こういう大きな失敗をしたとき、私はその原因を作った相手を言葉や心で攻撃し、自分を守る言い訳をしていました。「元々はその環境は相手が作った事。自分は正しいと思ったことをやったまでだ。悪い結果が出たのはそういう事をする相手が悪い。私は正しい。」のだと。
でも、自分の胸に手を当てて、じっくり考えてみると、事が始まる最初の最初、そういう相手と出逢い、近づき、相手の言う事を信じ、自分中心の考えで、そういう判断と行動に出たのは他でもない「自分」だという事に気づいたのです。
その大失敗をして、もう自分の人生を棒に振った、くらいにまで考え落ち込みましたが、ぐじゃぐじゃになった自己否定感と共に、心身共にフラフラになりながらなんとか仕事を続け、家庭を守り、過去の汚点はまだ消えていないながらも、ようやく少しは前が見えるくらいの軌道に乗ってきたような感じです。
いまは、次の事に気を付けながら生きています。
自分の選択した道が人として正しいものかどうか判断する
人生は、正しいことをしたらした分だけ、悪いことをしたらした分だけ全て自分に跳ね返ってきます。不思議ですが、人生って、最後の帳尻が合うように出来ていると感じます。
自分が困る原因を、自分の判断で作らない事
④ 海外の管理職という仕事で自分が磨かれる
海外の管理職ー
あなたはこう聞いて何を思い浮かべますか?
- ワイワイ楽しく海外の陽気な社員達と楽しく仕事をやっている。
- 言葉や文化、習慣、コスト、市場開拓、売上に苦労しながら日々悪戦苦闘している。
- 海外の習慣や生活様式を素直に受け入れ、現地の社員の信頼を勝ち取って仕事をしている。
その捉え方は色々だと思います。
私も25年前にその当時の日本の会社の社長から「中国に行ってこい!」と言われた時は、希望と不安の中で赴任しました。その当時はまだ32歳と若かったので、当然私の上に日本人上司もいましたし、私はその部下として上司の指示を仰ぎながら中国で仕事をしていました。
でも、時が経つにつれ、変わってゆくんですよね。
総経理が変わり、今まで私の上にいた上司も辞めて、技術を担当していた上司も亡くなったり、日本に帰国したり、歳月が流れるにつれ、だんだんと廻りにいた先輩方もいなくなり、やがて私が今の会社の中で中国現地に一番長くいる日本人社員となりました。
小さな会社なので、私の直属の上司は総経理、つまり日本の会社の社長。その下に副総経理の日本人はいますが、その方は全体管理と相談相手という感じで、本当の意味で私に相当なプレッシャーを与えてくるのは日本の社長です。
私が中国赴任し始めた1996年の時も、いろんな苦労がありましたが、いままでの25年の毎日、必ず何かしらの問題や課題があり、そして25年が経ち26年目に入ろうとするいまでも、問題や課題が多く苦労が絶えません。
思うに、強靭な精神の持ち主でさえ、とっくにいろんな理由付けて辞めていると思います。事実、中国に25年現地で現役駐在正社員として勤務なんて、私以外にまだ出逢った人がいません。
では、
私は強靭な精神を持ったとてつもない強者なのか?
と言われるとまったくそうではありません。
A型でかに座の細かい神経と、気の弱い、人前に出るのが苦手、でも優しくてギャグ好きで音楽好きな普通の男です。カッコ良くもない、見た目もハンサムじゃない、どこにでもいるような男です。でも家庭を守る、妻と子供たちにはやさしい、いい男です。(自分で言うな)
海外の仕事って管理、営業、技術の仕事が多いと思います。
私は技術職でもなく、管理の経験など無く、日本では海外貿易の知識とほんの少しの営業の経験だけで中国に赴任しました。ですので、中国に来て会社で貢献できるようなものはあまりありませんでした。私以外に誰かが来てやる事も十分出来たと思います。
しかし、会社にはあまり「海外赴任の人材」はいませんでした。大手企業のように2-3年で交代で赴任する、ような大きな会社じゃないのです。赴任条件などの問題もあると思います。ですので、私は中国現地で次のような仕事をする必要がありました。
- 営業総監として売上計画作りと国内外への営業活動の実践
- 中国国内及び海外の販売代理店との人間関係づくりと受注活動
- 会社として「売上」と「利益」をつくる事、その責任者
- 国内外の営業活動の中で出てくる様々な問題への解決
- 国内外の営業経費の決定とコントロール
- 会社の事務部門及び営業部門社員全員の管理と指導
- 朝礼や会社全体の会合で社員たちの前で挨拶や訓示、指導
- 技術以外のあらゆるトラブルシューティングを行なう事
- 会社の財務責任者として会社の「お金」に関する管理
- 中国語と英語を駆使し、文書、メール作成、営業活動の実践
- 日本の本社の社長並びに副総経理への定例報告
- 日本の本社の国際事業部との情報共有
- 国内外向け商品パッケージデザインの作成
- 社員の給与と賞与の策定と社長への提案
- 新社員採用面接と採用の可否の判断
- 対外的な役所や業者らとの折衝やコミュニケーション
このように箇条書きに書きましたが、実は、これらをテーマにそれぞれ細かい仕事がブレイクダウンされて、それが毎日続くのです。(週休2日なので土日は休みです)
海外の中小企業はもっぱら、少ない日本人現地社員で成り立っており、その日本人管理者が現地中国人社員達の管理をしています。これだけある仕事の全てを日本人管理者だけでする事は全くもって不可能なので、そこは、「現地中国人社員にそれぞれの仕事と任務を振り分け、しっかり仕事をしてもらう」のです。
思えば、日本の本社で自分が配属された部署で上司の下で仕事をしている時の方が、上司が私と社長の間に入りクッションになってくれたりしてまだ楽でした。でも、海外では社長直属となるのでそうはいきません。容赦のない叱咤激励(激励は少ない)が頻繁に交わされるのです。民間企業なので、営利目的です。売上と利益が無ければ廃業や倒産をするだけなので、社長も本気ですし、私も危機感をもって取り組んでいるわけです。
でも、売上は思うように上がらず、会社の問題もいくら解決しても決してなくなる事はありません。次から次へと出てきます。そのような中で、モチベーションを保ちながら、上を見て進んでゆくしかないのです。
では、私は何ゆえに25年も頑張って仕事を続けられているのか?
それは、
現地にいる中国人社員たちがとっても頑張ってくれている
からです。彼らが頑張る姿を見て、ついてきてくれる姿を見て、そして笑顔を見て、私も頑張れるんです。それをずっと見ながら、励まされながら、25年突っ走ってきました。
社員と上司、社員同士のもめ事や討論は日常茶飯事。社員たちも守るべき家庭や生活がかかっているので真剣です。私に文句や要望を堂々と言ってくることもある。そう言う中で色々と落としどころを作って解決して会社を運営していっています。
長く中国駐在をする中で、次の事に気づきました。
海外赴任の管理職、自分を成長させてくれます
画像引用元:⑤ 日本には今後帰るのか、帰らないのか、悩む
私はいま58歳です。32歳の時に中国に赴任し25年が経過し26年目に突入しています。私は日本の本社の国際事業部からの中国子会社への出向社員ですので、所属は本社の国際事業部。日本の会社の定年は60歳です。
一方、中国の定年は男性の場合60歳、女性の場合は幹部社員の場合55歳、それ以外は50歳とされています「中国法定退休年齢」(中国検索エンジン「百度」を参照)。
ただ、私は日本人であり日本国籍。中国に赴任して以来、「外国人居留許可証」(中国検索エンジン「百度」を参照)を更新しながら仕事をする「外国人」ですので、その場合、基本的に60歳が定年になります。もし60歳を過ぎても中国で仕事をしたい場合、①日本の本社が私を再雇用することを前提に、②中国の「永住権」を取得する、③「法令に基づいた条件」(都市によって異なるようです)で仕事をする、のどちらかしかありません。
私自身の考えとしては、60歳を過ぎても中国で継続して働きたいと思っています。
その理由として、
- 妻が中国人であり、二人の子供も中国で就学している事
- 中国でマンションを購入し、中国語圏での生活が根付いている事
- 日本に戻った場合、妻と子供達が日本語が出来ない
- 日本に知人、友人が少ない
- 家が無い(借家になり負担が大きい)
- 妻と子供にとって生活環境が大きく異なる
- 私が日本に戻っても妻子供は中国に残る可能性が高い
- 私自身60歳を過ぎて日本に戻って働きたいとは思わない
以上のような現実問題を突き付けられますので、現時点では「日本に戻る」という選択肢はありません。
しかし、定年まであと2年となったいま、会社としても、個人としても、どうするか決めなければなりません。今の会社が60歳を過ぎても私を必要としないならば、私は別の仕事を探さなければなりません。しかし別の仕事で60歳過ぎの人材を採用しようとするところは技術職でもない限り、あまりないでしょう。それでも、自分で中国にいると決めた以上、家族を養い、食べてゆく方法を探さなければならないのです。
今後、60歳を過ぎても中国で生きてゆく道に進みます
画像引用元:⑥ 自分の墓は中国、それとも日本、悩む
自分の墓は中国?それとも日本?どっちに作るのか?骨はどうする?
人生最後の究極な問題ですが、この問題、この年になると、よく頭に浮かぶんです。(-_-;)
人間の人生なんていつどうなるか分からないですからね~。
このブログも私が天国に飛び立ったあとは、息子にあとを継いでもらおうかな?(ドメインとサーバー代は息子持ちで)
冷静に考えて、自分は中国にいて国際結婚していて妻は中国人。家族ともども中国に一緒に住んでいる。でも私は日本人で日本国籍。日本に戸籍謄本もある。日本に親兄弟もいる。
最後の最後、ブログも書けなくなって、私があの世に行ったときには、私のお墓は中国に作るべきなのか、それとも日本に作るべきなのか?それと、私の遺骨は中国のお墓に入れるのか?それとも日本のお墓に入れるべきなのか?どうする、どうする!?
中国で葬儀を行ない、荼毘に付し、遺骨の半分ずつを中国と日本の墓に埋める
中国と日本で葬儀を行ない、日本で荼毘に付し、遺骨を半分ずつ中国と日本の墓に埋める
以前、妻としたことがあります。
妻がいうには、
冗談か本気か分かりませんが、そう言う風に考えているのか、と考えさせられました。(-_-;)
私の経験の中で、ひとつ「実際に起きたこと」があります。
それは、中国に一緒に赴任して長年一緒に働いていた技術部門の上司が、中国で命を落としてしまったのです。
事のいきさつは省略しますが、その方が中国で亡くなった後どうしたかを書きます。
- 日本の本社の上司と亡くなった上司のご家族が中国に来られた。
- 中国の葬儀場で中国式の葬儀を行なった。
- ご遺体は国際葬儀サービスを使い飛行機で日本に戻った。
- 日本の葬儀場であらためて葬儀を行なった。
- ご遺体は日本で荼毘に付された。
- その後、日本の墓地が立てられそこに眠る事になった。
- 亡くなられた方の身の回り品のほとんどは現地で処分された。
この上司の方は、中国に単身赴任で来られていて、ご家族は全て日本に住んでおられました。年に数回日本に一時帰国し、生前一度だけ奥様が中国に来られたことがあります。
なので、この上司の方の場合は、日本に持って帰らなければならないものは自分の身の回り品しかなく、中国で家族を持つ私とは状況が違いました。
いまの時代、「終活」なんて言葉があるくらい、自分の最後の事をノートに書き残して置いたり、自分の持ち物の断捨離をしたり、家族に伝えていたりする時代ですが、私のような海外で生活する人間の場合も、いざ事があってから残された家族やお世話になった方々が困ったり迷惑が掛からないように、生きている間に自分がどうしたいのか、自分の「意向」を廻りの人に伝えておくことは必要なのかもしれませんね。
終活の結論は、まだ出ていません
まとめ
今日はちょっと自分の胸に手を当てて自分自身を振り返り、これからどのように生きてゆくべきなのか、というちょっと真面目でリアルなテーマで書いてみました。
より深く掘り下げると、もっと気づきや思う事が出てくるかもしれませんので、その時はこの記事をリライトしてアップデートしてゆきます。
上に書いた「6つの心の変化」は、私だけでなく、海外に住む多くの方に当てはまる事かもしれません。それぞれに海外に行く事情も異なるでしょうが、私の経験と心の変化の内容が、このブログを読んでくれたあなたにとって、何かのお役に立てれば幸いです。
今日も最後まで読んで頂いてありがとうございました。
中国も日本も寒さも厳しくなってきますが、風邪などひきませぬよう、コロナにも気を付けて、気持ちを前向きに持って、心を暖かくして12月を元気に過ごしてゆきましょう!
それでは、また!
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